モーケン族の驚異的な水中視力の秘密を探って──ミャンマー現地調査レポート
私は当クリニックの非常勤医師であり、眼科医として、眼疾患の病態解明を目的に、遺伝学や分子生物学の研究にも長年取り組んできました。ミャンマー南部に暮らす「海の遊牧民」モーケン族の“裸眼による水中視力”に強い関心を抱き、以前、現地調査を実施しました。この調査は、2004年12月18日(土)21時〜23時にフジテレビ系列で放送された特別番組「サイエンスミステリーDNA2」の依頼により実施されたもので、科学的な検証を伴う現地ロケとして番組制作と連動して行われました。彼らは、ゴーグルなどの補助具を一切使わず、海に潜って素早く魚を捕らえる驚異的な視覚能力を持っています。
人間の目は水中で見えない──それなのに…
私たちの目の構造では、角膜が約40ディオプトリー(D)、水晶体が約20Dの屈折力を持ち、この合計60Dの屈折によって像が網膜に結ばれます。
特に角膜による40Dの屈折は、空気中(屈折率1.00)と角膜(屈折率1.38)との間に大きな屈折率差があるために生じています。
ところが、水中では事情が異なります。水の屈折率(約1.33)と角膜の屈折率(1.38)との間には、わずか0.05程度の差しかありません。そのため角膜ではほとんど光が屈折せず、本来の屈折力がほぼ無効化されてしまうのです。
つまり、水中では“目の屈折力の約3分の2”が機能しなくなるということです。
私たちが水中眼鏡を使わなければ魚の姿すらぼんやりとしか見えない中で、モーケン族はどうして魚の動きを正確に捉えることができるのでしょうか?

解剖学的に“普通”の眼球──それでも視力は異常に良い
私たちは現地に、細隙灯顕微鏡、レフラクトメーター、超音波診断装置、ケラトメーターなどの機器を持ち込み、数十名のモーケン族を調査しました。その結果、
- 眼軸長は正常範囲(平均23.5mm前後)
- 角膜の曲率・屈折力も正常(43〜44D)
- 水晶体の厚みや構造も年齢相応
- もちろん、水鳥の瞬膜(生体のゴーグル)のような特殊な器官は存在せず
つまり、解剖学的には、私たちと全く同じ“普通の目”をしていたのです。
驚異的な水中視力の秘密──3つの要因
今回の調査から、モーケン族の驚異的な水中視力には以下の3つの生理的特徴が深く関わっていることが明らかになりました。
- 調節力が非常に高いこと:20代で18〜25Dの調節力を持つ者が多数確認され、50代でも3〜5Dを維持している例が見られました。水中では角膜の屈折力が失われますが、水晶体の厚みを変化させてその分を大きく補っていると考えられます。
- 瞳孔径が小さいこと:暗所である水中でも瞳孔はほとんど拡大せず、光の散乱や球面収差を抑えてコントラストを保っています。実際に海中で撮影した映像からも、瞳孔径はまったく拡がっていないことが確認されました。
- 裸眼視力が極めて良好であること:視力3.6〜9.0を記録した者も多く、網膜中心部に密に存在する錐体細胞の機能が非常に高いと考えられます。
これらの特性が相互に作用することで、モーケン族は裸眼のまま水中でも極めて高い視覚能力を発揮しているのです。
さらに注目すべきは、暗所である水中においてもモーケン族の瞳孔径が過度に拡大しないという可能性です。通常、人間の目は暗い環境では瞳孔が大きくなり、より多くの光を取り込もうとしますが、それに伴い球面収差や光の散乱が増え、視力(分解能)はむしろ低下することがあります。
モーケン族は、水中でも瞳孔をあまり拡げず、ピンホール効果のような状態を保つことで、散乱の多い環境でもコントラストを保持し、高い分解能を維持している可能性があります。これは、視覚的なトレーニングの賜物かもしれませんし、長年にわたる水中生活を通じた神経調節機構の適応、さらには遺伝的な特性である可能性も考えられます。
さらに、裸眼視力の測定では、視力 3.6〜9.0 の者が多数確認されました。これは、網膜の中心部(黄斑)にある錐体細胞の密度が非常に高く、視覚的分解能が際立っていることを示唆します。
文明社会で生活する私たちは、VDT作業や人工光源の影響もあり、網膜細胞の機能低下、感度低下が避けられません。その中で、自然環境の中で生活するモーケン族の視機能は、進化的にも保存された形と言えるかもしれません。
遺伝か?訓練か?──陸のモーケン族も視力が良い
さらに興味深いのは、船上で潜水漁を続けているSeaモーケン族だけでなく、すでに陸地で定住し、日常的に潜水を行っていないLandモーケン族においても、同様の高視力と調節力が確認された点です。
これは、単なる環境適応や訓練による結果ではなく、長年にわたる海上生活の中で自然選択が働き、視覚に関わる遺伝的な特性が集団内に固定された可能性を示しています。
彼らの生活を見ていると、幼少期から細かな動きに注目し、海の変化を読み取りながら行動することが当たり前となっており、日常そのものが視覚トレーニングになっているように感じられました。
最後に:モーケン族の叡智に学ぶ
自然と共に暮らし、都市文明とはまったく異なる進化の道をたどったモーケン族。
彼らの視力の秘密は、単なる興味深い話にとどまらず、私たちがどれだけ環境に影響されて視覚能力を失ってきたか、その問いを私たちに突きつけてきます。
視力とは、単なる数値や医学的データでは測りきれない、「自然との対話力」なのかもしれません。彼らの存在は、視覚とは何か、見るとは何かを再考させてくれます。

Seaモーケン族のカバン(kabang):炊事・睡眠・移動・漁業をすべてこの船上で行う。

Seaモーケン族のサパイ(sapai):より小型で日常的な漁や移動に使われる。

水中視力測定:特注の水槽を持参して現地で水中視力を測定

Landモーケン族の子供たち